芸術の役割

今日はハンブルクでオーディションで、ただいま帰り道です。毎回、15分程度のオーディションのために、3,4時間かけて移動して時には前泊して、そのうち結果に繋がるのは2,3割あればいい方というようなもので、非常に時間、労力、金銭的に負担のかかるイベントだなと思います。ですが、僕の考えでは、オーディションは歌手の仕事の中に既に含まれているものなので、避けられません。誰かに初めて僕の歌を聞いてもらうときは常にオーディションに似たような気分になりますし、ほとんど日常に溶け込んでいってるような気もします。常に就活中というのは改めてややこしい職業だなと思います!


色んな考えが浮かんでは消えるので、思いつく度にメモしていますが、このブログはそれを少しだけ共有する場にしていこうかと思います。


今回、大層なタイトルを付けましたが、そんなにたくさん書くことはありません。


音楽はもちろん聴覚が重要になる芸術ですが、それの社会的な役割のうち大きな一つは、人の耳を開くことだと思います。聞いたこともないような美しい音色や不思議な音色で、時に音響的に魔法にかかったような空間を作り出すことは音楽にしかできません。そのような音に人の耳を傾けさせ、気だるく寝ている耳や日常に疲れ閉じてしまっている耳を起こす役割を担っていると感じます。

世の中にはたくさんの騒音や耳を塞ぎたくなるようなことがあり、その数々に疲弊してしまっている人が多くいるように思います。特に日本はしがらみや色々な心配事が多く現れたり、自然災害も毎年当然のように起こる社会なので、辛い話や苦しい話が多く聞こえてきます(努力を良しとする文化も良くも悪くも一役担っています。)そういった人はクラシック音楽に安らぎや癒やしを求める傾向にあり、それは全く間違っていないと思いますが、良い音楽が持つ力はそれだけではありません。癒すだけでなく、それ以上に自分自身の知らない部分を目覚めさせる効果があると思います。知らない世界に触れ、なんだろうと思う、びっくりする、なにか分からないけどワクワクする、など、言葉にならない新鮮な気分が現れればそれは既に音楽の魔力の仕業です。

誰かが誰かに怒りや恨みをぶつけている、広くは戦争も含めた人間同士の諍いなどは、ハーモニーから離れたところに位置し、その場には、騒音がとても多いのではないかと思います。そのような環境における、当事者の、自分の意見を叫び相手を無視するスタンスや、被害者の、起こっている出来事に耳を塞ぎたくなるスタンスの、どちらにも良い影響を与えることができるのが音楽ではないかという希望を持っています。自分でいっぱいになっている人の耳を開き、傾聴の姿勢を与え、疲れている人には、閉じてしまった心のせいで、普段は聞こえなくなっていたものを聞いてもらう、そのような働きがあります。聴覚を通してそういった形で社会に働きかけられるのが音楽で、他の芸術形態と組み合わさり人々が感覚的に伝え合いコミュニケーションをすることができる素晴らしい手段です。


言葉で説明できるのはこのあたりまでかと思うのですが、結局感覚的なものなので、好き!でも嫌い!でも何か新鮮な体験になればいいなと演奏側としては思います。ですが、つまるところ僕も音楽を聴いているので、受け取り手でもありますし、この音はどうかな?と瞬間瞬間で感じながら歌ってます。

芸術として音楽を捉えるのが僕に適したアプローチだと思うので、自由な芸術を尊重したいですし何も断定はしません。これからも解釈は変わっていくかと思いますが、今はこういう役割を担えるかなと思いながら歌っています。